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聖歌は生歌

聖歌は生歌

年間第15主日

《A年》 
  17 いのちあるすべてのものに
【解説】
 詩編65は、不毛の大地を潤す春の恵みの雨と、小麦の豊作による豊かな恵みを感謝する祈りである。10-12節
(詩編唱の1節と2節)、パウロがリストラで行った説教(使徒14:17)にも、反映されていると思われる。
 旋律は、ミサの式次第の旋法の5つの音+司祭の音からできています。同じ主題による123「主はわれらの牧者」
がミサの式次第の旋法の5つの音だけだったのに対し、ここでは司祭の音であるB(シ♭)が加わりますが、ミサとの
結びつきと言う点での基本的なところは変わりません。それは、この二つの答唱詩編で詩編唱の音が全く同じである
ことからも分かると思います。なお、この点については「答唱詩編」のページも参照してください。
 冒頭の「いのちある」では旋律で、最低音のD(レ)が用いられ、バスは、最終小節以外は順次進行が用いられるこ
とで、すべての被造物に生きるための糧=恵みが与えられる(申命記8:3参照)ことが表されています。終止部分で
は、バスで最低音が用いられて、それが顕著になると同時に、ことばも深められます。一方、「主は」に最高音C(ド)
を用いることで、この恵みを与えられる主である神を意識させています。この「主」の前の八分休符は、この「主」のア
ルシスを生かすと同時に、「すべてのものに」の助詞をも生かすもので、この間の、旋律の動きはもちろん、精神も持
続していますから、緊張感を持った八分休符ということができます。なお、「ものに」は、「の」にそっとつけるように歌
い、「にー」と伸ばすことがないようにしましょう。
 詩編唱は、4小節目で、最低音になり、低音で歌うことで、会衆の意識を集中する効果も持っています。
【祈りの注意】
 答唱句は、旋律の動きはもちろん、歌われることばからも、雄大に歌うようにします。いろいろなところで、聞いたり
指導したりして感じるのは、

答唱句が早すぎる
のっぺらぼうのように歌う

の二点です。指定された速度、四分音符=60は、最初の速度と考えてみましょう。二番目ののっぺらぼうのように
歌うことのないようにするには、「すべてのものに」を冒頭より、やや早めに歌うようにします。また「いのちある」を付
点四分音符で延ばす間、その強さの中で cresc. することも、ことばを生かし、祈りを深める助けとなります。
 後半の冒頭「主は」で、元のテンポに戻りますが、だんだんと、分からないように rit. して、答唱句をおさめます。
なお、最後の答唱句は「食物を」の後で、ブレス(息継ぎ)をして、さらに、ゆったり、ていねいにおさめるようにします。
この場合「食物」くらいから、rit.を始めることと、答唱句全体のテンポを、少しゆっくり目にすることで、全体の祈りを
深めることができるでしょう。
 第一朗読のイザヤの預言では、神が地に注がれた雨と雪による恵みと、神のことば(ダバール)による出来事の成
就が言われています。それは、福音朗読でも同様です。申命記8:3に「人はパンだけで生きるのではなく、主の口
から出るすべての言葉によって生きる」とあるとおりです。本来、神のことばには力があり、神がことばを発すると、そ
れは出来事となって成就します。わたしたちは、神からパンとぶどう酒というキリストの体に結ばれるいのちの糧をい
ただいています。同じように、神のことばもわたしたちのうちに働き、豊かな実りをもたらすことを願いながら、詩編を
味わってゆきましょう。
 【オルガン】
 年間主日の答唱詩編としては、恐らく、一番多く歌われるものでしょう。また、解説にも書いたように、ミサとの関わ
りが最も強い、答唱句です。基本的なコンビネーションである、フルート系の8’+4’を使うのがよいでしょう。オルガ
ンの前奏が早すぎないこと、レガートを心がけることが最大のポイントです。解説で書いた祈りの注意を、どのように
オルガンの音で、祈りとして表すか。オルガン奉仕者が、よく祈っているかが、問われる答唱詩編だと思います。

《B年》
 81 神よわたしに目を注ぎ 
【解説】 
 今日の詩編85は「平和の回復を求める祈り」と言われています。カナンに定住以前はもちろん、定着後も、イスラエ
ルは周りの国々からの侵略に脅かされ、「平和」を享受することは、なかなかできませんでした。特に、バビロン捕囚
による打撃は大きく、回復の希望を持つことすらできないほどでした。神の約束される「平和」は、ただ単に「争いがな
い」状態ではありません。神が神として認められ、神の支配が満ち満ちていることが「平和」なのです。
 答唱句は、最初の2小節、中音部→三度の下降→二度の上行を繰り返します。「目を注ぎ」は、前半の最高音が
用いられて、神の救いのまなざしが暗示されます。後半は、G(ソ)→C(ド)という四度の跳躍と付点八分音符+十六
文音符のリズムで「強めて」を強調します。さらに、この部分、「つよめ」では、和音もソプラノとバスが2オクターヴ+3
度開いていて、これによっても強調点が置かれていることがわかります。「ください」は、倒置の終止を表すために、ド
ッペルドミナント(五の五)という、属調での終止を用いています。が、すぐに元調へ戻り、反行を繰り返しながら終止
します。
 詩編唱は、グレゴリオ聖歌の伝統を踏襲し、属音G(ソ)を中心にして歌われます。
【祈りの注意】
 答唱句で最初に繰り返される音形は、畳み掛けるように歌いましょう。この部分をメトロノームではかったように歌う
と、祈りの切迫感が表せません。「神よ」と「目をそそぎ」という、四分音符の後の八分音符を、早めの気持ちで歌い
ます。上行の部分も、上り坂でアクセルを踏み込むような感じで歌うと、祈りの流れが途絶えません。冒頭はmf 位
で始め、上行毎に cresc. して、「つよめて」で頂点に達し、音の強さも気持ちも ff になります。その後は、徐々に、
dim. しながら rit. しますが、精神は強めたまま終わらせましょう。最後の答唱句では、特にこの rit.を豊かにする
と、いつくしみの目を注いでくださり、強めてくださる神の手が、静かに優しくわたしたちの上に伸べられる様子が表さ
れるでしょう。
 今日の第一朗読と福音朗読では、預言=宣教、すなわち、神のことばをのべ伝えることがテーマとなっています。
この、神のことばを受け入れることが、すなわち「平和」ということになるでしょう。詩編では、「正義と平和はいだき合
う」(詩編唱4節)、「正義は神の前を進み、平和はその足跡に従う」(詩編唱5節)というように、「正義」と「平和」は、
切り離せない関係にあります。
 もう一つ加えるならば、詩編唱の4節には「栄光はわたしたちの地に住む」とありますが、この「栄光」は、ヨハネ福
音書1:14で「父の独り子としての栄光」と言われている、主キリストに他なりません。詩編唱では、「地に住む」と現
在形が用いられていますから、主は今もわたしたちとともにおられる=インマヌエルなのです。
 なお、今日の閉祭(派遣)の歌には、同じ作曲者による、「アシジの聖フランシスコによる 平和の祈り」をお勧めしま
す。楽譜はオリエンス宗教研究所から発行されている「典礼聖歌 合本発行後から遺作まで」に所収されています。
【オルガン】
 答唱句の性格から、明るめの音色を使うのがよいでしょうか。フルート系を基本に、人数が多い場合は、あまり強く
ない、プリンチパル系を加えてもよいかもしれません。いつものことですが、それでも、答唱詩編の本来のあり方か
ら、逸脱しないことが前提です。
 前奏のとき、祈りの注意で指摘した、幾つかの注意点をしっかりと提示しましょう。前奏がメトロノームではかったよ
うに弾いたり、祈りの流れが途絶えるようなものだと、会衆の祈りも、同じようになってしまいます。いつも指摘するこ
とですが、オルガン奉仕者はいつも、答唱句と詩編唱を、自分の祈りとして、身に着けていてほしいと思います。

《C年》
 115 主は豊かなあがないに満ち
【解説】
 詩編69は、詩編22と同じく主のしもべの嘆きの歌で、キリストの受難について、次のような箇所で引用されていま
す。
10節=神殿から証人を追い出したとき⇒ヨハネ2:17
22節=十字架上で苦いものとぶどう酒を与えられたとき⇒マタイ27:34
22節=さらに、酢を飲まされたとき⇒マタイ27・48他
26節=ペトロがユダについて言及したとき⇒使徒1:20

 なお、この詩編は元来、2-7と14-16が一つの詩、8-13と17-35が別の一遍、最後の2節=36と37節が
典礼における補遺と考える学者もいます。なお、最後の2節は捕囚後の復興を求める、国民の嘆願と思われます。こ
の最後の2節を除いて、全体は統一の取れた感動的な詩編とみる学者がほとんどです。いずれにしても、苦しむ主
のしもべ=それは、キリストばかりではなく、キリストに従うゆえに迫害されるものの、魂の深みからの叫びと言えそう
です。
 詩編唱は、第1・第3小節の終止音の四分音符(主に「、」)が、その前の全音符から、2度高くなっており、第2・第
4小節では(主に「。」)2度下降しています。さらに、各小節の冒頭の音が順次下降しており(1小節目=A(ラ)、2小
節目=G(ソ)、3小節目=F(ファ)、4小節目=E(ミ))、文章ごとのバランスをとりながら、ことばを生かしています。
 この詩編唱は、当初、『典礼聖歌』(分冊第二集=31ページ)で、旧約朗読後の間唱として歌われた「主よ よこし
まな人から」(詩編140)に用いられていました。現在、『典礼聖歌』(合本)で歌われる詩編唱の第3・第4小節が
「主よ よこしまな人から」の答唱句として、第1・第2小節が、同じく詩編唱として歌われていました。
 「主よ よこしまな人から」が作曲されたのは、典礼の刷新の途上だったため、新しい詩編や朗読配分、などが確立
したときに、この曲は使われなくなり『典礼聖歌』(合本)には入れられませんでしたが、新しい答唱詩編である「主は
豊かなあがないに満ち」の詩編唱に受け継がれました。
【祈りの注意】
 解説にも書きましたが、答唱句は、詩編唱と同じ歌い方で歌われます。全音符の部分は、すべて八分音符の連続
で歌います。「豊かな」と「あがない」の間があいているのは、読みやすくするためです。また、「あがないに」と「満
ち」、「いつくしみ」と「深い」の間があいているのは、楽譜の長さ(答唱句と詩編唱の)をそろえたための、技術的な制
約によるもので、これら赤字のところで、息継ぎをしたり、間をあけたり、延ばして歌ったりしてはいけません。下の太
字のところは、自由リズムのテージス(1拍目)になります(*は八分休符)。

 主はゆたかなあがないに満ちー*|いつくしみふかいー*

 答唱句は、ここで歌われる詩編のことばに対して「主はゆたかなあがないに満ち、いつくしみ深い」と答えます。詩
編と同じく、八分音符の連続ですが、「主・は・ゆ・た・か・な・あ・が・な・い・に・満・ちー」のように包丁がまな板を鳴ら
すような歌い方にならないようにしましょう。
 冒頭は、きびきびと歌い始め、1小節目の終わりで、rit. し、ほぼ、そのテンポのまま「いつくしみ」に入り、最後
は、さらにていねいに rit. して終わります。全体は、P で、最後の答唱句は PP にしますが、それは、この答唱句
の信仰告白のことばを、こころの底から、深く力強い、確固としたものとするためです。決して、気の抜けたような歌い
方にならないようにしてください。
 第一朗読では「申命記」の律法に関する箇所が朗読されます。神のことばは遠いところにあるのではなく、実は、
わたしたちのすぐ近く=わたしたちの口と心にあると言われます。見方を変えれば、それが、「だれがわたしの隣人
なのか」ではなく「だれの隣人になったか」と言うことなのでしょうか。神のことば、キリストのよい便り=福音は、誰か
に教えてもらって、必死に苦労しなければ、身につかないものなのではありません。「豊かなあがないに満ち、いつく
しみ深い」主のことばは、実は、いつもわたしたちとともにある=インマヌエル、なのです。
【オルガン】
 この答唱句は、基本的に P  で歌いますから、ストップもフルート系の8’だけでよいでしょう。ただし、会衆の人数
によっては、弱い4’を加えたり、Swell から8’をコッペル(カプラー)してつなげる方法もあります。ペダルも16’は一
番弱い音のものを使いましょう。会衆の人数によっては、答唱句も Swell で弾いたほうがよいかもしれません。いず
れにしても、答唱句の緊張感が生きるようなストップを心がけてください。
 さて、前奏ですが、このような、いわゆる「プサルモディア系」の答唱句の場合、ソプラノを刻んで弾くことはしませ
ん。すべての声部を最後まで、音を延ばしたままで弾きますが、その際、実際に歌う長さを延ばすようにします。ただ
し、「満ちー」の後はソプラノだけ八分休符を入れます。つまり、オルガン奉仕者は、声には出さずとも、答唱句の歌
詞を、心の中で歌いながら、もちろん、ふさわしい rit. もしつつ、前奏をするわけです。
 それで、本当にきちんと、会衆が歌うのだろうか?と思われるかもしれません。ですが、普段、「プサルモディア系」
以外の答唱句で、きちんと歌うように前奏をとるように心がけていると、「プサルモディア系」の答唱詩編の場合、この
ように前奏をとると、きちんと歌えるようになってくるものです。ちなみに、これは、四旬節の詠唱にも言えることです。
 オルガン奉仕者が、なぜ、きちんと歌って祈らなければならないのか、ということが、分かると思います。


 


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